ホルン奏者 笠原 慶昌のblog
by yo_kasahara
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笠原 慶昌 ホルン・リサイタル
【不定期コラム 賛否両論】鍵を握るのは?
オーケストラ・スタディのレッスンについて
【不定期コラム 賛否両論】上吹き、下吹き問題への個人的考察
開設しましたFacebookページ、地味に更新しています。
過去のリサイタルチラシ画像解説シリーズとか、自己紹介的なカバー動画とか。
レッスンについても、ご覧下さい。
さて、「賛否両論」を謳うからには、危なっかしい話題へもいずれ触れざるを得ないですね。
ホルンにとっての「上吹き・下吹き問題」。
そもそも区別はあるのか、あるべきなのか?何が違うのか?
様々な見解が乱立しているので、どなたのお気にも障らず自説を述べることは難しそうですが、
多少慎重に、しかし思うところははっきり、書きます。
私が最近楽団を辞した事情にも密接に関わってくる内容でもありますが、
その辺はあまり暴露記事にならないよう、
しかし判る方は「ニヤリ」とできるよう、加減します(笑)。
歴史的には、ナチュラルホルンの時代に、エチュードやマウスピースのサイズ等も含めて
「高音ホルン奏者」「低音ホルン奏者」が峻別されてきた経緯があるのは、
よく知られていることです。
ベートーヴェンがホルンソナタを共に初演したジョヴァンニ・プントは、
当時の花形「低音」ホルン奏者だったとか、
だから第九のソロは4番に書かれたのだという説があるとか、よく聞く話です。
当時は「低音奏者」の方がソリストとして一目置かれ、
待遇もよかったとの話もよく聞きますが、私は厳密な出典は存じません。
おそらく給与が上だったとか、何らかの資料があるのでしょうが、
その辺はホルン史の碩学にお任せしましょう。
その後、ヴァルヴホルンの普及、世界的な楽器スタイルの淘汰・平準化、
奏法の進歩、などなどを経て、いつの間にか
「上吹き」「下吹き」の間に、使用楽器・マウスピース・アンブシュア、どれをとっても
これという決定的な「違い」を見出し辛くなった現代においても、
分業は一般的に行われています。
ヴァイオリンの、あるいはクラリネットの、はたまたトランペットの、
1st、2ndの区別と同じなのか?違うのか?
ホルン奏者の間でも意見は分かれるところでしょう。
区別自体の是非には色々な論点があるでしょうが、
区別に付随する微妙な「格差問題」については、おそらく、
ホルン奏者の大半がフルダブルホルンに移行し終え、
かつ現代ほど指導法ひいては演奏水準が高くなかった20世紀中盤ごろ、
特に優れた若手奏者を優先的に「上吹き」として育てる風潮が、
どこかで定着してしまったことが原因なのではないでしょうか。
著書「自分の音で奏でよう!」が話題の、ベルリン・フィルのマックウィリアム氏は、
旧時代のドイツでのこうした指導の弊害についてかなり辛辣に書いていますね。
こうした格差問題?をひっくり返す、新たなる風は、
北米ほか英語圏からやってきたと考えられます。
アメリカを中心に、高度な音楽教育環境の恩恵で、若手ホルン奏者の水準が飛躍的に向上し、
色褪せて見えかけていた「下吹き」の概念を覆す奏者が次々と登場します。
前述マックウィリアムもカナダ育ちの英国人ですし、
サラ・ウィリスは主に英国で学んだ米国人。
現在のシカゴ響首席代行のギングリック(ギングリッチ、かと思っていましたが、
同僚が「ク」と発音していたのでそうらしい)は、
もともと4番奏者でしたし、クレヴェンジャーが「彼なら今すぐに
私の席にとって代われる」と言ったのはその4番奏者時代でした。
ジャズを中心にソリストとして独立した元フィラデルフィア管のアダム・アンズワース、
いまそのフィラデルフィアにいるデニース・トライオン等、
控えめな「縁の下の力持ち」イメージからは遠い、
スター性のある低音奏者は随所にいます。
現代のオーケストラに要求される高度な演奏水準を考慮に入れると、
「上吹き」「下吹き」の区別がテクニック的な限界に根ざしていた時代は、
幸か不幸か、終わってしまったと考えるべきでしょう。
では何のために分けるのか?
より高度なアンサンブルの熟成と、職場の円滑で持続可能な人間関係のため、
というのが一番ではないかと思います。
首席奏者は、高度なプロ集団としてのホルンセクションの中でも、
特別な音楽的リーダーシップを買われてそこに座っているわけですし、
他のポジションも同様に、技術上(少なくとも短期的)問題なくスイッチできるからといって、
軽々しく交替すべきものではない、という共通認識が、
世の大半の(特に上等な)オケには定着していると思います。
日本の現状は…という話は地雷なので避けて通るとしまして(弱気ですね)、
恩師のひとりがレッスンのときに語っていたことが、鮮明に記憶に焼き付いています。
一字一句その通りではないですが、大意は
「下吹きのオーディションで、モーツァルトの3番を出して、上吹きなら4番を出す、
という風潮が気に入らない。
まるで『高い音が出てこない、カンタンな3番で、下吹きには充分』と
思ってるみたいじゃない?
3番だって音楽的には高度だし、
技術的にモーツァルトの4番吹けないやつにオケの下吹いて欲しくないし」。
ぐうの音も出ない正論だと思います。
上下同時募集、もしくはヴェクセルの募集で、モーツァルト2番を
課題にするオケがありますが、その意味でとても評価できる姿勢です。
もうひとつ、自分にとって同等の、珠玉の箴言は、アマチュア大学オケ時代の先輩の言葉。
未熟な青二才のくせに1番ばかり吹きたがりだった自分に
「4番吹きの気持ちがわかって、3番吹きの気持ちがわかって、
2番吹きの気持ちがわかって、初めて1番を吹ける」。
これも、額に入れて飾りたい言葉です。
そうしたことを踏まえて、妥協のない自分の仕事として、
「いまこの場においては、自分は何番が吹きたいのか、何番を吹くべきなのか」、
見極めた上でオーディションの用紙に筆を走らせる、ようでありたいと思っています。